No. 01
中国大返し——11日で200km
備中高松城は、岡山市から西へ約200kmの距離にある。現代の電車で3時間。歩いて11日で踏破することは、通常の武装行軍では物理的にほぼ不可能に近い。
なぜ秀吉はそれを可能にしたのか。
第一に、毛利との和睦交渉が「前倒しで」進んでいた。秀吉は既に降伏目前の毛利と有利な条件を素早くまとめ、敵の追撃を受けずに撤退できた。
第二に、沿道の村々に食料と馬を用意させる「早馬」の先触れを大量に出し、兵糧の心配なく走り抜けた。
第三に——これが後世の疑問を呼ぶ——備中と京都の情報網を、秀吉は**すでに本能寺の変の前から**整えていた形跡がある。そうでなければ、6月3日夜の一報を受けて、6月6日には全軍撤退、6月13日には山崎で布陣、という離れ業はできない。
「事前知情」の仮説は、この11日間の異常な速度と完璧な段取りから生まれた。
