No. 01
伊賀越え——謎の逃避行
1582年6月2日、堺にいた家康に本能寺の変の報が届く。供回りはわずか30名程度。京には光秀軍1万3千。逃げ道は険しい伊賀の山越えしかなかった。
道中で共謀者の穴山梅雪が「落ち武者狩り」に遭って死亡する。だが梅雪だけが襲われ、家康一行は無事だった——この事実が「家康が梅雪を口封じに処分したのではないか」という説を生んだ。
さらに、服部半蔵と伊賀者のネットワークが事前に整えられていたかのように、家康は難所を次々と抜けた。本当に「偶然」の脱出だったのか?
家康が本能寺の変を事前に知っていた、あるいは関与していた——この仮説が消えない背景には、あまりにも「準備されていた」伊賀越えの段取りがある。
