REQUIEM
REQUIEM/People/こんどう いさみ
近藤勇の肖像写真
慶応年間(1860年代)

幕末 · 新選組 局長

誠の旗の下に

近藤勇

こんどう いさみ

武州多摩の農民の子として生まれ、剣一本で新選組局長に昇りつめた男。池田屋事件で名を轟かせ、近江屋事件では真っ先に疑われた。幕末の「誠」の旗を掲げ続け、板橋の刑場で33歳で処刑された。

Summary · 概要

どんな人だったか

近藤勇は、武州多摩(現・東京都調布市)の農民の子として生まれた。農家・宮川久次郎の三男。武士の出自ではないが、幼少期から剣術に才能を示し、江戸の天然理心流・近藤周助の道場に入門、後に養子となった。

1863年、将軍上洛の警護役「浪士組」に志願し、京都に赴く。だが浪士組分裂後、京都に残った仲間たちと新選組を結成。局長として池田屋事件・禁門の変・新撰組屯所としての壬生・西本願寺時代——幕末京都の治安維持の最前線に立ち続けた。

1867年11月15日の近江屋事件では、真っ先に疑われた組織が新選組だった。近藤は事件直後に伏見奉行所で事情聴取を受けている。近年の研究では冤罪説が有力だが、当時の印象の強さが彼の運命を決めた。1868年、戊辰戦争で敗走し、板橋で捕縛・斬首される。罪状の一つは「坂本龍馬暗殺関与」だった。享年33。

Life Timeline · 生涯の道のり

近藤勇
年代で追う

  1. 1834年0歳

    武蔵国多摩郡上石原村で誕生

    農家・宮川久次郎の三男として生まれる。幼名は勝五郎、後に勝太。多摩の豊かな自然の中で、剣術と文武を学んで育った。

  2. 1848年14歳

    天然理心流・近藤周助の道場に入門

    江戸の天然理心流・近藤周助の道場「試衛館」に入門。実戦的な田舎剣法として知られた流派で、土方歳三・沖田総司らと出会う。

  3. 1861年27歳

    近藤家の養子に、試衛館の道場主に

    近藤周助の娘と結婚し、近藤家の養子となる。試衛館道場を継ぎ、近藤勇と称するようになった。土方歳三が副長的な存在だった。

  4. 1863年2月29歳

    浪士組に志願、京都へ

    将軍徳川家茂の上洛警護役「浪士組」に、試衛館の仲間と共に志願。京都に到着するが、浪士組主宰者の清河八郎が尊王攘夷に寝返り、混乱が生じる。

  5. 1863年3月29歳

    浪士組分裂、壬生浪士組を結成

    清河派と決別し、京都守護職・松平容保の配下となる。壬生を拠点に「壬生浪士組」を結成。後の新選組の始まり。

  6. 1864年6月30歳

    池田屋事件で名声を確立

    長州系尊攘志士が京都焼き討ちを計画する集会を襲撃。近藤はわずか数名で20人以上を制圧したと伝わる。この事件で新選組の名は全国に轟いた。

  7. 1864年8月30歳

    禁門の変(蛤御門の変)

    御所を襲撃した長州軍を迎撃。新選組は京都防衛に貢献し、幕府からの信頼を不動のものにした。

  8. 1867年6月33歳

    幕臣に取り立てられる

    農民出身の近藤が、正式に幕臣(御目見え以上)の身分を得る。大出世。彼の剣一本での立身出世の頂点だった。

  9. 1867年11月15日33歳

    近江屋事件——新選組が第一容疑

    龍馬と中岡が近江屋で襲撃される。事件直後、新選組が最も疑われた。近藤は伏見奉行所で事情聴取を受けた。

  10. 1868年1月34歳

    鳥羽・伏見の戦い

    戊辰戦争の緒戦。新選組は旧幕府軍として出陣するも、薩長の近代兵装に敗北。以後、各地で敗走を続ける。

  11. 1868年4月3日34歳

    流山で捕縛

    下総流山(現・千葉県流山市)で「大久保大和」と偽名を名乗るも見破られ、新政府軍に捕縛される。

  12. 1868年4月25日34歳

    板橋で斬首

    武士としての切腹も許されず、罪人として斬首。罪状には「坂本龍馬暗殺関与」が含まれていた。享年35(数え年)。首は京都で晒された。

Personality · 人物像

どんな人柄だったか

近藤の人物像は「義」と「誠」に集約される。新選組の隊旗「誠」は、近藤の精神そのものだった。仲間を裏切らず、主君(将軍・会津藩主)への忠誠を貫き、最後まで幕府側であり続けた。

農民出身ながら武士以上に武士的な生き方を貫いた。剣の腕は天性のもので、池田屋の逸話に象徴される実戦力は折り紙付き。同時に、天然理心流という田舎剣法を「誠」の精神で磨き上げた、頑固一徹の剣客だった。

ただし、政治的なセンスは十分ではなかった。時代の流れが倒幕に向かう中でも、幕府擁護の立場を変えなかった。この頑固さが、彼を英雄にすると同時に、板橋の刑場に送ることになった。「時代を読めなかった誠実な男」——それが近藤の本質だった。

Anecdotes · 逸話

語り継がれる場面

No. 01

池田屋事件——4対20の伝説

1864年6月5日夜、京都四条の旅館「池田屋」。長州系尊攘志士20人以上が、京都焼き討ち計画を練るために集結していた。

新選組が襲撃を決行。近藤・沖田総司・永倉新八・藤堂平助——たった4人で階段を駆け上がり、浪士たちに斬り込んだ。

数分の激戦。近藤の剣が次々と浪士を倒し、沖田は結核の発作で倒れつつも戦った。後詰の新選組隊士が駆けつけるまで、わずか4人で20人以上と渡り合い続けた。

結果、長州側の死傷者多数、新選組側の死者はなし(負傷のみ)。この事件で新選組の名は一夜にして全国に轟き、同時に「長州の人材を大量に失わせた」として、後の倒幕運動から恨まれることになった。

No. 02

農民から幕臣へ——剣一本の出世

近藤の生涯は「身分制の壁を剣で破った物語」だ。

多摩の農民の三男——家を継ぐ権利もなく、田畑を耕して生涯を終えるはずだった。だが剣術の才能で江戸の道場に入門し、養子になり、道場主になった。

京都で新選組局長になり、池田屋で名を上げ、1867年には「御目見え以上の幕臣」の身分を得る。農民出身者が幕臣になれることはほぼ皆無の時代、近藤の出世は奇跡だった。

だが、この奇跡は時代の終わりと重なった。幕臣になった翌年、幕府自体が消滅する。近藤の剣が開いた扉の向こうに、もう幕府の世はなかった。

No. 03

近江屋事件——冤罪か、それとも

1867年11月15日、近江屋で龍馬と中岡が襲撃された。事件直後に最も疑われたのが新選組だった。

理由は複数ある: - 新選組は京都の尊攘派志士を数多く殺してきた実績があった - 龍馬は新選組にとって討つべき敵の象徴 - 襲撃の手口(抜刀の速さ、剣の腕)が新選組的だった - 現場に残された鞘の形状が、新選組隊士のものと似ていた(後に否定)

近藤は伏見奉行所で事情聴取を受けた。近藤は関与を否定。事件当日の新選組の動向も、比較的追跡可能だった。

近年の研究では、実行犯は京都見廻組(今井信郎ら)が有力とされる。近藤は冤罪の可能性が高い。

だが、1868年の処刑時、近藤の罪状の一つには「坂本龍馬暗殺関与」が含まれていた。冤罪のまま、処刑されたかもしれない。それが近江屋事件の、もう一つの悲劇だった。

No. 04

板橋の最期——切腹を許されず

1868年4月25日、板橋。新政府軍は近藤勇の処刑を決めた。

近藤は武士としての誇りを求め、切腹を希望した。これは武士の最後の尊厳——罪を認めつつも、自ら命を絶つことで名誉を保つ慣習。

だが、新政府軍はそれを許さなかった。近藤は「元は農民」であり、また「罪人」として扱われた。斬首——武士には最も屈辱的な刑。

近藤は辞世の句を残したとされる: 「孤軍援けなく戦い疲れ 余骨衣に捲り 首級の位のみ残る」 (孤軍奮闘し、疲れ果て、骨は肉に包まれたまま、残るのは首だけ)

首は京都で晒された。農民から幕臣へ、そして罪人へ。近藤の数奇な生涯が、この首と共に幕を下ろした。享年34(数え年35)。

Relationships · 関わった人々

人は、人との関係で動く

土方歳三

副長・義兄弟

天然理心流時代からの盟友。新選組副長として、厳格な規律を敷いた「鬼の副長」。近藤処刑後も戦い続け、箱館・五稜郭で戦死した。

沖田総司

隊士・剣の天才

新選組一番隊長、天才的な剣客。池田屋事件で活躍するも、結核で1868年に25歳で夭折。近藤の処刑の前月、江戸で静かに死んでいった。

松平容保

主君・会津藩主

京都守護職。新選組を事実上、傘下に置いた。会津藩と新選組の絆は、戊辰戦争の果てまで続いた。

坂本龍馬

潜在的な対立相手

幕末京都の「尊攘派浪人」の代表格として、近藤の新選組にとっては取り締まり対象。直接の接点は少ないが、近江屋事件で劇的に交錯した。

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佐々木只三郎

京都の幕府側・並走者

京都見廻組の指揮官として、新選組と共に京都の治安維持を担った。新選組と見廻組は、身分的には見廻組の方が格上で、微妙な関係だった。

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Related Cases · 関わる事件

REQUIEMで近藤勇に会う

Further Reading · もっと知る

学びを深める参考資料

ここで紹介する本をきっかけに、近藤勇の世界をさらに深く訪ねてみてください。

  • 01

    新選組血風録

    司馬遼太郎 · 書籍

    新選組を主題にした短編集の決定版。近藤・土方・沖田らの人物像が鮮烈。

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  • 02

    近藤勇 (人物叢書)

    松浦玲 · 書籍

    近藤の生涯を史料重視で追った評伝。伝説の近藤と史実の近藤の落差を理解できる。

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  • 03

    新選組と近江屋事件

    伊東成郎 · 書籍

    近藤・新選組が近江屋事件にどう関わったか(関わらなかったか)を検証。

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Image Credit · 画像出典

近藤勇・肖像写真·慶応年間(1860年代)·Public Domain·Wikimedia Commons