No. 01
光秀からの密書への沈黙
1582年6月、本能寺の変の直後、光秀は細川父子(藤孝・忠興)に書状を送った。内容はおそらく「共に新しい天下を築こう」という協力要請。
藤孝の返事は——書状の代わりに、剃髪の報せだった。
剃髪とは、仏門に入る(あるいは隠居する)という宣言。政治の表舞台から退くという意思表示であり、光秀への明確な「NO」だった。
さらに、息子忠興は、嫁であった光秀の娘・玉を山深い味土野(みどの)に幽閉した。離縁はしなかったが、事実上の別居状態。光秀の血筋を残しつつ、光秀とは断絶するという微妙な処置だった。
30年の盟友が、一夜にして他人になった。この速度が、後世「藤孝は変を事前に知っていたのでは」という疑いを生む。準備されていたかのような対応の滑らかさ。
